2022年8月4日木曜日


   忘れていた頃にやって来た


      ルリボシカミキリ


  梅雨明けで短い夏を楽しむ.......とも思ってはいないが、
  太陽が照りつけたのはわずか一週間。なんだか寂しい。
  激しく降りしきる雨に目が覚め、時計を見たら夜中?夜明け?の3時。
  結局雨が気になり起きてしまった。
  3時半にはもう明るくなって、
  6時半でもまだ暗い冬との違いはやっぱり大きいな。
  
  

  他県でも被害が出ているけれど
  梅雨明け後にまた梅雨に戻されてしまったような天候が続いている。
  



  

     
自宅敷地の梅が沢山あるので持って行って欲しい、と
先月半ばにTさんから連絡が入った。
脚立を借りて腰にカゴをぶら下げて
もぎ取るその数100個を超えた。

先に仕込んだ南高梅のことは言えなかったが、
さて、先発+後発で干すとしても
3日続いて晴れる日は来るか、気になるところ。




ついでに.... と、頂いたのが20年ものの「超熟梅干し」!
毎年漬けていたけれど、家族構成が変わったのでもう卒業するということだった。
しかしながら、である。
ビンテージものと思えるくらい夏の季節にはベストの味だった。
実は...... 恐る恐る期待していなかったのだから(Tさん、ゴメン)
「見た目で判断はダメよ」。自戒の念をしっかり込めたい。
  

  

赤梅酢で「紅生姜」と白梅酢でお寿司の「ガリ」


 新生姜が出回る頃、気になりながらも手を出さなかったものに、ジンジャーエールのシロップ、いわゆる原液がある。

案ずるより生むが易しとはこの事。 クローブ、シナモン、そして八角を入れたら、あのW社のジンジャーエールと同じ味になった。魔法のシロップ。濾した後の生姜も展開ができる。いろいろなレシピが入手できる時代。不便なようで便利。



  なかなか発見がむずかしいと言われるけれど、
  倒木の周辺に3匹もいた。
  実は去年も1匹見つけたのだが、地面に落ちて一生を終えたものだった。
  鮮やかなブルーの色は少し褪せていたが、間違いなくそれだった。
  忘れていたルリボシ君、今年は仲間を増やしてその姿を見せてくれたのだ。

  フクオカ博士が昆虫少年だった頃、図鑑で見たルリボシカミキリ。
  生物学者になるきっかけだったらしい。
  













2022年7月13日水曜日


  悲喜こもごもの月日


今年の第一弾 追い熟中


    この先一週間の天気予報はどうかな?と見たら傘がずらりと並んでいる。
 梅雨はまだ開けないよ、と先に言われているようで口をつぐんでしまった。
 岩手山は一日中霧の中に潜んでしまい、姿が見えず
 Yes でもないNoでもない、いわゆるグレーの空が頭上に広がっている。
 西の地方は梅雨明けはわずか二週間で終わり、記録的に短かったらしい。
 
 セミが鳴かない?
 自然界にはいろいろな秩序や状況の判断となる指標があるけれど、
 土の中にいた彼らには気温の上昇と、まとまった雨が不可欠だし、
 「ちょっと変だよ〜」と見えないアピールをしているに違いない。
 
 梅雨の中にあるここでも、湿度は高いけれど降雨量は多くなく、
 今年はセミの声に元気がなく、圧倒的に数が少なく何だか寂しい.....なぁ。
 あの煩いくらいカーニバルのように賑やかな声が好きな者としては。











7月初め/ ウラの畑 / 最後の苺

タヌキの被害はなく
(彼らの視界には入らなかった)

路地モンは遅いけれど
とても甘く、貴重なひとときを。





暮らしの中には常に良いことと、そうでないことがひしめき合っている。


小豆を煮ようかなと、ボゥーッと何か考えていたのか
砂糖の代わりに塩を入れてしまった瞬間にギョッとする。
後の祭りになるけれど、次は気をつけようと思い直す。
そうやってまた、ジャガイモやカボチャを煮て鍋を焦がしたこと数知れず。
またやり直せるし他愛もないことだと深く落ち込むこともない.....。
野菜などの材料とワタシの「関係性」はそんなものかもしれない、と。

世界はどんどん混沌としてきて、
梅雨の空より重くて暗く、いつか晴れるのだろうかと考えてしまう。
先の見通しなど誰にも予測つかないように思えるし
「戦い」は、双方の関係性の悪化に起因していることを歴史が残している。


梅雨の合間のレンズ雲?



酸いも甘いも嚙み分ける、とも言うものの
世の中の微妙な事情や事象を振り返り、
大人として分別をもつ、とはどういうことなのか 
遠い空を見上げれば微かに晴れた霧の上に青空が。




2022年6月20日月曜日

 

   長く続くもの

  
  15日に梅雨入りした東北は去年より4日早いということだった。
  もう少し遅くても良いのに、気象情報に少し気落ち.....
  そうこうしているうちに明日はもう夏至だなんて!
  う〜ん。なんて早い。




Kさん、除草に夢中


  24年前から有機米に切り替えている上野さんちの田んぼへ先週お邪魔した。
  モチロン、日々食べているし提供しているお米であるが、
  毎年この時期に皆で除草に参加している。
  田んぼに入るのはもっぱら男性たちで、私たちは外での炊き出し班。
  珍しく天候に恵まれ、ダッチオーブンの前で暑いくらいだったが、
  稲の生育に嬉々とし、食糧難になったらどうする? などと
  他愛もない(そうなって欲しくないという裏返し)ことや
  「オーガニック雫石」で種まきした黒千石大豆の成長への楽しみ等々。

  
  





4枚ある田んぼの除草に、なぜか皆いなくなってしまい炊事班、取り残されるの構図。

軽トラにBBQからテーブル、椅子、全て載せて準備万端で、上野さんご主人はイノシシの肉までアイスボックスに入れて笑顔で待っていた。





              



 カエルが稲と稲の間を除草している。

 他の雑草は.....  水田の底で埋め戻し。とても手がかかる、というか、丹精込めての米作りをしていることがよく分かる。


 主食でもある米の消費量は年々減少の一途。

 上野さん曰く「化成肥料や農薬を使いたくなる時もあるネ」                でも使えない。知ってしまったから、と。

その言葉の内に、苦労と喜びが複雑に絡み合いながらも50年以上続けてきた稲作り。耳を傾けながらも外で食べるご飯の美味しさと共に、その陰にある「手間」が太陽の眩しさで透けて見えてくるようだった。     









2022年5月28日土曜日

 

  エピジェネティクス


          木々の葉たちも光の中で風に吹かれ気持ち良さそう。



  一昨日の朝、行政区の方がいらした。
  実はその前にもいらしたそうだが、不在だったため二度目の訪問。
  留守かどうか分からず玄関前でしばし佇んでいた時のことを話してくれた。
  我が家と彼女の家は裏の林と沢を跨いでごくわずかなのに、
  ここは、沢山の鳥たちが鳴いていて、何て気持ちが良い、と。
  
  毎年春の繁殖時、様々な鳥の鳴き声が聞こえるけれど
  今年は特に賑やかで、その違いは感じていた。
  ウグイスを知らない人はいないが、
  多種多様な美しい鳴き声を出すクロツグミはさながらオーケストラのよう
  シジュウカラは本当に始終規則正しく高い声でずっと鳴いている。
  ヒヨドリは地味だが、必ずペアで空中の木々の間を縦横無尽に飛んでいる。

  住宅地で育ったこともあり、鳥はカラスとスズメくらいしか知らなかったが
  人間以外の動植物がこれだけ存在していることも、ここならではの発見。
 
  鳥の声に耳を澄ましながらとても気持ちが良かった、と
  いつになく楽しそうに話し、こちらも暖かい気分をいただいた。
  木々が多いと落葉の半端なさの量にため息も出る反面
  だからこそ鳥たちが好んでやって来るのかもしれない。
  
  
  
  
 





ハリギリ、タラボ、ワラビにホンナ....etc.
百合山葵から始まり、
山の菜の摘み立ては本当に新鮮。
天麩羅に塩。
これ得意!

 「たられば」

 もし、あの時こうしていたら...
 もし、その時こう話していれば...
 振り返ってそう思う時というのは後悔や、誤選択など入り混じっているからであり、
 取ってきた行動への否定かもしれない。
 美味しいものを食べて微笑んでいる時には出てこないし 
 落語を聞いてゲラゲラ笑う時にも現れてこないものだ。
 何か作業に集中している時にも浮かんでこない。
 環境も少しずつ変化してきて、相互に揺れている。
 
 
 
 「エピジェネティクス」

  社会的環境がもたらす生物学的反応のことを言うらしい。
 科学が進み、いろいろな現象や物事を分析、解明できる時代になり
 聞いたこともない用語も入ってくるけれど、シロウトにはまだまだ難解な世界。

 DNA判定こそポピュラーなものになってはいるが、
 親から受け継いだモノは不変なものと思いきや、
 どのように生きるかにより、
 環境や経験がその人の内外に装飾され2つの螺旋に刻まれていく.....
 運命を決定づけるのではないということが明らかになってきた、という話。
 
 化学物質の影響でエピジェネティクスが変化し遺伝子の機能も変化する。
 そういうものが多くの病気の原因ともなるという研究は聞いたことがあった。
 環境がヒトの健康や生き方に及ぼす影響というのはあるだろうなぁ。
 
 さて、ここでの暮らしもさまざまな影響はあったと思いながらも
 もっと前にこういう話を聞いていればなぁ〜
 あ、これが「たられば」なのである!
 でも、全ては唯一無二ということなんだ。

 










2022年5月7日土曜日

   

  慌ただしく春の音


まるでモネの油絵 / 枝垂れ桜



    久しぶりに美術館に足を運び、その脇道から視界に入ってきた枝垂れ桜
 天候が少し不安定で夕方だったこともあるけれど、
 それはそれは何とも形容しがたい絵のような光景が広がっていた。
 お花見をする時間もあまりなく、そそくさと用事を済ませ帰路に着く.....
 その日もそのつもりでいたけれど、
 「そんなに急がなくてもいいじゃない?」と、たしなめられたようだった。
 ホントにね、
 地面まで垂れ下がる桜の木は貫禄もあって圧巻!
 
   
 
 

ウラの畑で越冬してようやくお目覚め
 
 雪が溶けた畑の中から掘り出した赤大根や人参
 6ヶ月もの長い間土の中にいたことになる。
 赤大根は冬でも掘ることができるけれど、
 ウラの畑までは雪が多く面倒なこともありそのまま冬眠状態にしていた。
 バケツの中で洗うとワイン色の大根が「どうだ!」と言わんばかり光っている。
 
 










赤大根/人参/菜の花/ 鶏そぼろ+炒り卵
忙しい時は(忙しくなくても)
常備菜を用意しておくと助かる。
地の恵み。





 プロバイダーもGW仕様になったのか(そんなことはないね)
 一週間つながらず、完璧なものはないなぁ〜。
 大手銀行のATMや電車の運行、カードの決済ができないetc...
 よく聞くシステム障害というコトバ。
 「使えて当たり前」が突然そうではなくなると
 「当たり前」が不都合なものに転じてしまう。
 想定も準備もなく?
 そうなると結構厄介なものです、となってしまうということに。
 ややこしいな。

 
 













2022年4月24日日曜日

 

  The way we are....

 

  職人の技 見とれてしまう。
  何年も磨いて近づいてゆく「匠」への遥かなる道。



  去年より少し遅い桜の開花宣言
  でも、ウグイスの初鳴きは少し早く キジも例年より早めに鳴いていた。
  5日や一週間の早い遅いは、暮らしに影響あるのか否か。
  う〜ん。殆どないなぁとニュースを聞きながら思うのだけれど。
  気象を「仕事」としている方は毎年日々のデータを記録し、
  季節ごとの比較で天候がどう変わっているか示してくれる。
  
  山に登る
  川で釣り 
  空を飛ぶ  
  海での漁
  田畑で仕事...すべて天候に左右される。暮らしにはやはり影響ある〜。
  
  

椿だったか、お茶の木だったか忘れてしまった。
どちらもあるからネ。
朝の少し早い時間だとこんな色に映るのね。。



  今あるワタシたち
  春の始まりの中に入ったというわけだ。
  






2022年4月15日金曜日

 

 住んでいる町は「永続地帯」

 

       ショウジョウバカマ 


 4月に入ってからもマイナス気温の朝があったり、最高気温が25℃近くなったり、どこを基準にしていいのやら戸惑いそうになる。そうかと思うと明日の朝はなんと雪マークが!    近隣を走ると残雪がまだ居残りをしていて、冬と春の間でめまぐるしい.....。

黄金色のテンを続けて2回見かけ、4匹のリスが縦横無尽に駆け回る風景にも遭遇した。  アオゲラが毎朝のように通って来て軒下になんとか穴をあけようと様子を伺っている。寒くてもヒナの鳴き声があちこちから聞こえ、自然の中の生物たちが持つ命の力強さを見るにつけ、まさにセンス・オブ・ワンダーの「春編」だと感じる。










  
フクジュソウ
名前に「福」と「寿」が入る。
雪解けの春一番に咲くことから
オメデタイということらしい。
地味だけど春告げの花





住んでいる町の食料自給率は266%、再生可能エネルギー自給率は169%。
食料とエネルギー、この両方ともに自給率が100%を超える市町村は「永続地帯」と呼ばれ、国内ではわずか70箇所、岩手県では住んでいる雫石を含む4箇ヶ所のみ(2019年度のISEPデータ)。
確かに大規模な地熱発電所があり、原野にメガソーラーがあり、
岩手山の裾野に広がる田園に、町の面積(609㎢)の50%を超える森林がある。
合言葉ではないけれど、山と言えば川もある。


あるのが当たり前のように暮らしてきた歴史もあるけれど、永続地帯などと大それた言葉などほとんど知る機会もない人が大多数。
そう言うワタシも、環境エネルギー政策研究所(通称 / ISEP)というところが毎年出している「永続地帯報告書」で知ったのは7年前くらいだったか......。

新日本紀行(NHKアーカイブかな?)で見られる50年前の町や村での人々の暮らし。       すでに人の流出や自然環境や仕事が著しく変化していると話している。
さらにその50年前だと戦前の1920年、激変の時代に同様のことを語っていたのではないか。
人間の寿命だとすごい前に感じるが、地球規模ではたった50年、100年は瞬きのようなもの。
暮らし方が変わるのも頷ける。


ヒト社会の変化というより、「進展」という言葉の方がしっくりくるかもと思えるけれど、
鳥やタヌキのように淡々と暮らせない人間の宿命のような気がしている。
そんな風に考えるとなんと切ない生きものなのだろう、人間は。

世界の情勢を見るにつけ、築き上げてきたものもいずれ儚く消えてゆくのだろうな、とか
神妙になってしまうが、謙虚にもなる。。




冬が終わると春になるということは変わっていない? 
雪解けの沢づたいに広がる水芭蕉はそう話しているかも。