2011年3月21日月曜日





Full moon

昨日の夜のこと。
歯を磨こうと洗面所に行き、何気なく夜空を見上げたら、満月。
満月は驚くことではないかもしれないけれど、異様に大きく迫って見える。
地震の後、ということも・・??
家族に話したら、既に知っていたMy息子から「19年ぶりに地球に
最接近してるらしいYO」と聞かされた。
「へェー、そうなの」

災害の後の新月は夜空の中に静かにたたずんでいる。
この月は広い海をも照らし、静かに朝まで見守っていることだろう。

全国でもすでに始まっているけれど、住んでいる雫石町でも、
被災者支援の一環として「救援物資」の提供を呼びかけている。
避難されている方たちの状況は、報道されている範囲でしか知り得ないけれど
思いを想像しつつ、やれることはやってゆきたい。

何かが失われたとしても、それを補うような「何か」が必ず待っている。

「漁業復活」に向けて集まった、漁師の人たちは力強かった。
漁船を全て失っても前を歩くその姿は生きる力そのもの。
見習おう。

2011年3月20日日曜日


春への足踏みが続いている中、外に出たら頭上でトビが鳴いてたり、
ペアのカケスが飛び回ってたり、いつもの光景なのに胸に染みる朝だった。







「あの日」から9日間


11日の金曜日に起きた巨大地震と津波は、
戦後最悪の自然災害による多くの犠牲者数を出した。
知り合いも含む、未だ行方が分からない人たちが15000人以上もいるという。
こういう時に何を言うべきなのか言葉が出ない。

笑ったり泣いたり、怒ったり悩んだり、
普通に暮らしていた人々の生活が一瞬で消えてしまうとは、
どんなに想像しようにも、それを超えてしまう。
それが現実に起きること自体が現実を超えている。


事態は地震や津波に終わらない。
この1週間、ニュースは福島第一原発での爆発事故等による放射能汚染被害の心配と、
被爆を避けるため避難せざるえない沢山の人たちの姿を映像に映し出している。
加え、停電により使用済み核燃料を冷却するプールの水が冷却できず、
自衛隊や消防庁の特別レスキュー隊が朝から放水作業に当たっている、と。

原子力発電...
快適な生活を送るため、電気を使う。誰もが。
こうしてPCを使えるのもその恩恵だと理解しつつ・・。
発電は火力や水力はモチロンのこと、
最近では太陽光や風力などの認知度も上がってきている。
それでもワタシたちの生活の約30%は原子力だということも以前から聞いていた。

緊急事態になってしまった今、計画停電の話も出ていたが、
需要が足りて行わなかったところもあるという。
電気の使用量を本当に30%カットできるなら・・
原発に頼らなくてもいいことになるという意味がとれるのでは。


福島県にある10基を含め54基も原発があるこの国。
CO2を出さない「クリーンで持続可能なエネルギー」という表現は適切なのだろうか。
「絶対安全」というキャッチフレーズで原子力が進められ、今回見事にそれが崩壊し、
被爆が認められた人たちも数人出ている。

ひとり言ではすまなくなってしまったけれど、
福島原発の問題はもはや福島だけにとどまらず、
東北を含むそれぞれの地域の今後の問題となろう。


shiftm.jp 自然エネルギー社会への道筋

非電化工房 



2011年3月10日木曜日


春を待つトリ




3月に入っても寒い朝が続き、溶け始めた雪も黒ずんだままSTOP がかかっている。
どんよりした日だからか、トリは外を眺めながら思考に耽っているようだ。
彼女にとっても春は待ち遠しい!

1年前に頂いた3羽のうちの1羽。
情が移る、という理由からあえて名前はつけなかったのだが、
いつのまにか羽の色から「ベージュ」と呼ぶようになり、
そのまま名前になってしまったのだから笑ってしまう。
雄も「オス」と呼んでいたのに、いつのまにやら「ナポレオン」となり、
卵をあたためヒヨコにかえした母鶏は「クロ」に収まっていた。
トリとは言え、「おい」とか「へぇ」とか言って呼ぶのは失礼なことだったのかもしれない・・・。






卵白や生クリームの泡立て、ケーキのスポンジ種の撹拌などに
20年以上使ってきたハンドミキサーがついに動かなくなった。
何とも別れがたい心境になってしまったけれど、
治りそうもないのであきらめることに。

どちらかと言うと、モノや道具はとことん使う方。
気に入って、つき合えばつき合うほど愛着が湧いてくる。
そういう中で、電気を使うモノには「寿命」があることも分かっているのだが、何ともしがたい。
中には部品を取り替えることで寿命の引き延ばしも可能なケースもあるけれど、
かかる費用が新品を買うより高くつく場合もあり・・・ 
To be or not to be そう、シェークスピアの心境になるのだ。

寿命で思い出したが、4年ほど前に買った携帯電話。
超シンプルなデザインと色が気に入って使用し、
スマートフォンの誘惑にも負けず(!)今後もずぅーーと愛用?するつもりでいた。
今年に入り携帯電話の販売会社から手紙が届き、
この機種は来年から電波が届かなくなるので使用できなくなる云々、という内容だった。
一緒に新機種のカタログも入っていたのだが、理解しがたく確認に出かけるはめに。

結果的に、使えなくなるまでは1年以上あるのだが、
メーカー側は、「新機種に交換されては?」と優しく?勧める。優しく。
これは使う側の問題というより、供給する側の都合ではないのだろーか。
説明責任が足りないように思うと同時に、
見えないところで同じ思いをした人がいると想像すると歯がゆいかぎり。

せめてあと1年、ていねいに使って記念に取って置こうかな・・。

2011年3月5日土曜日



3日を過ぎて、そろそろ箱入り雛?








スポンジを焼いたのでレアーチーズとブルーベリゼリーのケーキを作った。
知り合いの畑で摘み、煮詰めて瓶詰めをしていたものを使う。

瓶に貼ったラベルには、「8月11日」と書いてあり、
もう7ヶ月近く経ったことになるンだな、と暑い夏の朝をふと思い出す。
摘むより食べていた方が多く、持っていたカゴになかなかベリーが増えず、
それでもワーワーおしゃべりしながら楽しいひとときだった・・。

真っ赤というより紫に熟すブルーベリー
低木で比較的扱いやすい品種らしく、
この町でも最近は苗木から育てる人が随分増え、
季節になるとあちこちで売っている。

住んでいるこの場所は、残念ながら果実になるのは桑の木ぐらいだろうか。
何せ住所が「栗木平」。
住みはじめて最初の秋にヒョウのように降ってくる栗のイガに納得した。
梅や桃や柿など、実をつける木が欲しい!と騒いだが、
これ以上樹木が増えたら大変だ、誰が木を切るとYに反対され断念し、
甘い実をつける木は幻に終わってしまった・・・。
でも、ベリーは美味しく「夏の思い出」もこうして一緒に瓶詰めになっている。

10年前からブルーベリー畑を趣味で始めた知り合いの、
新たなチャレンジはラズベリーだと言っていた。
休耕田を一人で手入れし、軽トラックで軽快に走るAさん、
この場を借りて「ありがとう」。

2011年3月3日木曜日


手仕事




北国では冬が来る前に庭木類の「雪囲い」をしている所を見ることが多い。
昔は家屋に対してもぐるりと囲いを作ったり、
豪雪地域では、屋根から落ちてくる雪のはずみで窓が割れないように、
板を打ち付けているのを見かけたことがある。

その「雪囲い」に使う素材の一つに、ワラがある。
昔話の中に出てくるワラぐつや草鞋、蓑笠(漢字で書くのはむずかしい)に使われるワラ。
空気層を含んでいるから保温効果もあると思うけれど、
何はともあれ自然素材。収穫後のもう一つの恵みでもある。





前置きが長くなってしまった・・・。

写真の「雪囲い」は盛岡市の光原社の中庭にあるお地蔵さんやポール。
木々ではないものたちへの「雪囲い」に心が動いてしまった。
恐らく庭師の方によるものだろうが、粋と言うか、その丁寧さに脱帽してしまった。
一つひとつに宿る心配りに、手抜きをしない職人技の芸とはこういうことか、と。
顔も知らない「その方」に会ってみたくなるほど心が動いてしまった。

手仕事の魅力は、「手」が作り出すことによってのみ現れてくる「何か」があるように思える。
それは仕上げまでにかかる時間であったり、作り手の心であったりさまざまだが、
量産とは異なる「何か」が。
人からひとへ受け継がれる無形のものに見えない価値があり、
手仕事に惹かれる理由が重なってくる。


日本は四季がはっきりしているというけれど、
春と言うにはまだ早く、まだ冬と言うにもピークは過ぎている。




日中の気温もプラスに変わり、5時を過ぎても日はまだ明るい。
気分は春に向い、スキップしたくなる日も近い・・はず。
そんな時に今朝の「春の雪」。
冬と春の間を行ったり来たりがまだ少し続くようだ。




一足先の「芽吹き」




切った枝を水の中に活けて3週間。ノイバラとミズキの葉っぱが開いた。
そうして暫くすると発根を始めるのだから、植物の生命力には驚かされる。
生命力と言えばネコヤナギのそれは相当強く、
川べりに多く自生しているのをよく見かける。
切って水に差しておくとあっという間に発根する。

人の手が入らなくなった場所に繁茂し、
あまりに生い茂ってくるとちょっとこれは・・・なんて思うのだけど
柳の箸を販売し「町おこし」と奮起している町もある。
決して厄介な植物?ではないと思いつつ、活用方法を探るべく
あれこれと考える。

ところで、ヤナギ・・の下にドジョウは本当にいたのだろうか?

2011年2月28日月曜日


西の空に



久しぶりに「戦場のメリークリスマス」を聴いた。車の中で。
ご存知、坂本龍一の作品だが、よく知っているあの「メリークリスマス」ではなかった。
それは、互いに向き合う二つの空気の層が、水のエネルギーを受けながら揺れている、
というか、水の流れを外から眺めているような、そんな印象を受けた。
一つ一つの音が水の中で揺れながら動いて、ゆっくりとした旋律をハモっているような、
聞きながら浮かんでくるイメージは、水の世界だった。









世界のあちこちでコンサートをすると、一番リクエストが多いのがなぜかこの曲だと聞いた。
第二次世界大戦下、ジャワの日本軍俘虜収容所内の出来事が舞台になっている映画の曲だ。
重い内容だからこそ旋律の美しい曲が辛く響き、戦争がもたらす悲劇を浮き彫りにしていた。

ふと、世界に目を転じると、
戦いは終わる事なくいつの時代もどこかで常に起きている。
チュニジアに始まりエジプト・リビア・・。
体制派と反体制派の武力衝突が始まり、双方に犠牲者がでている。
武器に頼るのではなく、対話で解決してほしい