2011年4月6日水曜日


高台にある鶏舎と畑




沿岸は「壊滅状態」というニュースで知人の安否も気になっていたところ、
車で通行できることを知り出かけてきた。
以前、何度かウチまで来て頂きながら大船渡市まで行ったことがなかったことを思い出す。
電話が未だに通じない、という彼の家は山の中腹にあり、
とてものどかな良い所で、巨大津波がもたらした被害とは隔絶していた。
およそ500羽の鶏に、田と畑は自給。
ここでもやっぱり「薪ストーブ」の暮しに「買うものは殆どない」だった。





結婚して一緒に暮らす奥さんの両親は、27年前に埼玉から移住し
「津波がこない場所」を探して家を建てたそうだ。
放し飼いの2匹の犬が嬉しそうに走り回り、高台から見下ろす景色は、
その先に消えてしまった街のことなど想像もつかない。
今まで何度も津波予報の半鐘が鳴っても、
「オオカミと少年」の話のように本気にする人が少なく、
それが逆効果になったかもね、と。
もう一人の知り合いの家は津波の被害が出て、漁の再開が心配だ。


坂道の中腹にあった「津波想定ライン」の表示板のすぐ下まで壊滅の家屋が立ち並び、
予測は正しかったことを示してよう。
それでも海の方へ、船に近い方へと家や街が形成された。

平和な時間が長く続くと、津波への感覚が薄れていくのかもしれない。それは誰にでも。
「災害は忘れたころにやって来る」
その殆どが破壊されつくし、
まるで「戦場のピアニスト」のセットやCGの中に自分たちがいるような重い気持ちになる。


北は青森から南は千葉まで、500キロ以上にわたる海岸線を
ほぼ同時に飲み込んだ自然の力、誰が想像できるだろうか。
その海は、何事もまったくなかったかのように青々としていて、
慈母のような穏やかな表情を見せていたのだから....